住めば都とは言うけれど…マイホームへの道

今の地に住居を構えて5年。結婚し生活が安定し始めた頃合いをみて機材や日用生活品が溢れ手狭になったアパートから一戸建て住居への転居を考えるようになった。考えるにあたってまず最初に判断に迷う所が『購入か賃貸か』の壁である。特に僕が購入を考えた頃はまだ20代だったため、漠然と戸建て住宅に住みたいという希望はあったけど、その場所に永住する事を今決めてしまって大丈夫なのだろうか?と自問自答する日々がしばらく続いた。その当時はまだ地価もそれほど高くはなく、本当に住みたいと思う場所、住居を時間をかけて探すつもりだった。そこにやってきたのが2011年の東日本大震災である。僕が当時住んでいたのは宮城県名取市で、同エリアの海の近い地域は甚大な被害状況だった。その反面、同じ名取市でも国道四号線を跨いで山側の僕が住んでいた地域はヒカクテキ電気、水道、ガスの復旧も早く1か月もすれば当たり前の生活が戻った状況であった。そんな矢崎にアパートの家賃の値上げ。住まいを失った方々の賃貸希望者が突如として殖えたことが原因である。追い打ちをかけるように、住宅の相場が瞬く間に跳ね上がり、3,000万以内を条件に住宅を探していた僕の元に来る販売案内は、町から離れた山の上の未開拓地ばかりとなった。その頃提示していた条件は、在来線から徒歩圏内であることであったが、名取地区では新築建て売りが次々と乱立し、比例するように僕が手を出すことなど到底出来ない程となり、新築を諦めかけていた。それでも変わらず住宅の販売案内の連絡は毎日のように掛かってくる。そこで、どうせ無理ならばと、『仙南エリアであること』『駅から徒歩圏内であること』『学校が近いこと』『2,500万以内』の4点を改めて提示し、これが無理なら住宅は諦めますと伝えた。一週間後。希望する名取地区ではなく仙台市内になってしまうのだが、広告にまだ掲載されていない物件なので購入価格を交渉できるという朗報が入った。現場を見に行くと、元々の地主が住んでいた住居が破損してしまい住み替えのため土地を売り引っ越したとの事だった。まだ全く更地の状態で、名目上は建売住宅だったのだが資材もこれから依頼ということで、内装や外壁、ドアや窓、洗面台等が自由に選択できること、窓や電源の位置を変更することが出来る事など、セミオーダー的なイメージであることなど、自分たちにとって好条件が揃いこれ以上待っても価格が跳ね上がる一方の中で相談していた住宅業者の努力と、震災の恩恵を受ける形で購入に至った。実際に住んでみると、隣の家が近く庭が手狭であることは多少不満ではあるが、それを差し引いたとしても値段的な物を考えれば僕らには充分すぎる、まさに『住めば都』である。